居合術「土佐直伝英信流」とは

居合術とは

時代劇などでたまに耳にする「居合使い」という言葉。 居合術とは、今から約 480 年前に、林崎甚助源重信公により体系化された 剣術です。「居て合わす」、相手の攻撃を迎え撃つ言わば護身術です。

抜刀 がそのまま防御と攻撃につながる事から、古来より恐れられてきた剣術です。

この写真の剣士は、土佐直伝英信流 第二十代宗家 竹嶋壽雄先生です。当支部 故杉浦薫先生(マガジンハウスカメラマン)が撮影し、竹嶋壽雄先生ご本人より使用を許された写真です。


第二十代宗家 竹嶋壽雄先生(写真中央)

第二十一代宗家 村永秀邦先生

第二十二代宗家 芳之内祐司先生

土佐直伝英信流とは

貞享元年、当時江戸勤であった土佐藩士、林六太夫守政先生により土佐藩 ( 高知県 ) に伝わり現代まで、口伝直伝により土佐で大切に守られ続けてきた、居合術の一派です。

宗家の継承は、世襲が一般的なこの時代において、土佐では、その時代その時代に最もふさわしい土佐の侍が宗家を継承することで、古から変わらず土佐本来の業が残されてきた、大変貴重な流派です。

当初は「無双直伝英信流」という流名でありましたが、近年、居合ブームで全国に広まるにつれ、一人歩きを始めてしまいました。

本来の土佐の居合とは業が異なってきてしまった為、平成7年、二十代宗家 竹嶋壽雄先生から二十一代宗家 村永秀邦先生へ、宗家継承のおり「土佐直伝英信流」と改名しました。

現在は二十二代宗家 芳之内祐司先生が流派をまとめておられます。

現代の居合道とは少し違い、昔の業を変えずに受け継いでいる古流居合である事が最大の特長です。

 時代劇の殺陣にみられる派手さはありませんが、攻守において、無駄を極限まで無くした業であり、実際に刀を使う「刀法」を身に着ける事ができます。

全国居合道高知県連盟に所属しています。


大田次吉先生

竹嶋壽雄先生(写真中央)に指導を受ける東京支部発足時の剣士たち

東京支部について

東京銀座に本社がある、ananやBRUTUSで有名な出版会社マガジンハウス(当時は平凡出版株式会社)内で、有志により居合道部が発足されます。

全日本居合道連盟下の東京都連盟に在籍していた土佐出身の大田次吉先生と川嶋光晴先生、中田敏之先生をお招きし、無双直伝英信流の銀座道場として仕事終わりに業を鍛錬していました。

大田次吉先生は定期的に土佐へ行かれ、土佐の業を研究、業を本来の土佐の居合に近づける為、苦労されていたと言います。

大田次吉先生は高齢であったので、ある時、弟子達にこう遺言を残しました。

「土佐に竹嶋というすごいのがおる。ワシはいずれダメになる、その後は竹嶋に面倒をみてもらうように」と。

まもなくして昭和59年、大田次吉先生が亡くなり、土佐の竹嶋壽雄ご宗家に遺言が伝わります。

大田次吉先生の墓前で、竹嶋壽雄先生はしばらく考え込むと、お供物の団子をパクりと口にし「兄弟子の弟子達が困ちゅうけに、どうするかのー」またしばらく考えて団子をもう一つ口に入れると「よっしゃ決めた、私が居合を見ましょう」と決心されます。

と言うのも、土佐の英信流は、あらゆる英信流の源流であり、土佐藩のお留流剣術であった為、その業は土佐を出ることなく、脈々と受け継がれ、磨かれてきた経緯があります。

東京の弟子達の面倒を見ると言うことは、土佐から初めて外に出るという事になるのです。また、土佐の弟子達の反対もありました。竹嶋壽雄先生もかなり悩まれたそうです。

かくして昭和61年に全国居合道高知県連盟東京支部として発足。総勢47名。初の地方支部として40年あまり、現在も二十二代宗家 芳之内祐司先生並びに、土佐の範士の先生方、東京支部の猪股政明先生、奥勉先生指導の元、日々変わらぬ業を鍛錬しています。

東京支部発足当時のメンバー。中央が川嶋光晴先生。

慣れ親しんだ無双直伝英信流から、その源流である土佐の英信流、現在の土佐直伝英信流に多くの弟子達を連れて転換することは、相当な覚悟があったということです。

土佐から定期的に、竹嶋壽雄先生や村永秀邦先生、中村公一先生、福留脩文先生、細川多豆夫先生など、多くの先生に東京へ来ていただき、研修会を行いました。写真は、平成3年に行われた研修会後の宴の様子。

形稽古が主となる居合道ですが、相手を置く組太刀も盛んに稽古しています。

左は、杉浦薫先生。右は、阿部俊克先生。無双直伝英信流之形「独妙剣」の一コマです。

土佐直伝英信流高知県連盟東京地区十周年記念大会の様子

平成19年に竹嶋壽雄大雲先生が他界され、追善居合道大会が開催され、多く弟子達が参加しました。

写真左は、奥勉先生。右は、杉浦薫先生。

あるとき、東京支部の剣士の一人が竹嶋壽雄先生に訊ねたそうです。

「先生、居合とはどのようなものなのでしょうか?」

竹嶋壽雄先生は豪快な人であったので、ひとこと「やらりゃ〜解らん、やれば解る」と言われたそうです。

くどくど頭で考えてないで、とにかくやってみる。

やってみないと見えてこないものがあるし、説明されても本当の理解には及ばないという意味であり、東京支部の剣士たちが、今も大切にしている言葉です。